エッセイ 『娘への伝言』

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    鰯の団子汁を作った。昔、母はこの料理をよく作ってくれた。
    懐かしい気持ちで、まず鰯を洗った。

    母はどんなときも台所に立って、家族のために食事を作ってくれた。
    夫、姑、親戚など一族からもたらされる多くの心労を抱えながらも、
    毎日変わらず料理を作り続けた。
    そんなことを考えながら、鰯の身を細かく刻み始めた。

    結婚して故郷を遠く離れ、三十年以上になる。
    母と同じように、どんなときであっても食事を作ってきた。
    私の立つ台所には、その時々の悩みがもちこまれた。二人の娘の進路が大半だった。

    私にとって台所は、料理を作るだけでなく、考えるための大切な場所である。
    手を動かして野菜を刻みながら料理の手順を頭のなかで組み立てると同時に、
    次元の違う現実の問題を解決に向けて考えている。
    台所という空間で、料理しながら考えることがいつの間にか習慣のようになっていた。

    包丁で小さな骨も一緒に切る。まるでハモの骨切りみたいだなどと考えながら、
    滑らかになるまで鰯の身を刻み続けた。次に水を切った豆腐と混ぜ合わせた。
    ふと、母の言葉を思い出した。
    「塩を入れないと固まらないから、忘れないようにね」
    と結婚前の私に母は何度も言った。
    片栗粉を使わないで、塩だけで柔らかい鰯の身と豆腐をスプーンで取り、
    湯に放つと固まるのである。
    結婚後、素材を生かす料理の素晴らしさに気づいた頃から年月が経つにつれて、
    母の言葉は少しずつ私のなかで深まっていった。

    そうだ、捨てようとした皮と背骨も使おう。身と皮の間は栄養豊富だし、
    背骨のカルシウムも頂けるように作ろう。私は皮を刻み始めた。
    それを具に加え、塩を忘れずに入れて混ぜ、スプーンですくって沸かした湯の中にひとつずつ落とした。
    背骨は野菜を煮る頃に最後に入れ、酢を数滴背骨にふりかけた。
    これで骨のカルシウムがとけて煮汁に出てくれる。
    母が教えてくれた料理をベースに、娘の私が少し工夫して加える。

    料理に限らず、すべてに通じることである。良きものを子孫に伝える。時には進展させる。
    子孫に伝えたものが本当に伝わるには、長い年月を待たねばならない。
    母の言葉を深く感じ取れるようになるまでの間、私の学びが必要だったように。

    鰯の団子汁が出来上がった。仕事から帰った娘が「美味しい」と喜んで食べてくれた。


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    エッセイ『母との時間』

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       八十五才の母は、時々電話で、
      「会って一緒に食事したい」
      「遠いから、真中あたりの所に集まって、
      何か美味しいものを食べよう」と話していた。

      先日、次女の仕事休みを利用して、
      二人で久しぶりに会いに行こうと思い、
      母に電話で伝えた。
      母は「最近、テレビで歌の番組を見ている」と言い、
      「あなたの歌が聴きたい」
      「カラオケに行こう」と話が進んだ。
      会えた時が最後だと母は思っている。
      歌を聴きたいという母の言葉が、私の耳に残った。

      学生時代、私は部活の合唱でメゾソプラノだった。
      当時全盛だったフォークソングをギターで弾き語りし、
      人の前でも歌っていた。
       クラシック音楽に造詣が深く、とりわけショパンを大好きな母が、
      フォークソングも知っているのは、きっと私のせいに違いない。

      こうして母の待つ故郷へ向かった。駅に到着し改札口まで行くと、
      向こう側に母らしき人が手押し車の椅子に腰かけて、人を探す姿が見えた。
      母は痩せて小さくなっていた。

      昼食をとった後、母は、あれ以来歌える店を
      買物に歩きながら探し続けて何店か見つけた、と言い
      「今からどう?それとも次にする?」と尋ねた。
      延期すればすぐ後悔するのはわかっていた。
      私は喜んで母について行った。

      店は休日でどこも満員。結局『歌える喫茶店』に入った。
      知らない人の中で、選曲にも迷い、
      母に何の歌がいいか尋ねると
      『白いブランコ』とすぐ答えが返ってきた。
      全部で三曲歌った。
      「またここに一人でも来たい」
      母は帰り際に言った。
      「近ければ、一緒に来てあげられるのにね」
      切ない思いで私は言った。

      旅を終えた翌日のこと、
      突然あるメロディーが私の頭の中を駆け巡った。
      素敵なこの歌を母に聴いてもらえば良かった、と思いながら、
      しばらく歌を口ずさんだ。

      次女に話すと「じゃあ、また今度ね」と次女は言った。
      そうだ、母に「この歌を、また今度ね」と伝えよう。
      そう思って、私は受話器を手に取った。


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      エッセイ『私と学習』

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        私の趣味は学ぶことである。
        それまでわからないまま終っていたことが理解できた瞬間は、
        急に光が差し込んできたような深い幸せを感じる。

        現実の生活は険しい山谷の連続だが、学ぶことは、そんな現実を乗り越える力を私に与えてくれる。

        昨日より今日、今日より明日。毎日こつこつと学ぶのが私のスタイルである。
        それは、はるか昔、四十年前の大学通信教育から始まった。

        一課題につき原稿用紙五枚のレポートを提出し、四課題すべて合格して、
        やっと一科目を受験できる。
        卒業論文の枚数や、卒業に必要な単位数は、通学と全く同じであった。
        多くの人が入学するなか、卒業できる人数は「爪の上の土」ほどわずかなのが現状だ、とよく言われたものである。

        その通り、私の卒業までの道のりも、平坦なものではなかった。
        独身時代に入学したが、結婚後、長女を出産するため休学した。
        そして六年後、次女の幼稚園入園時に復学し、結局足掛け十四年を経て卒業した。
        そのため、卒業式の日は周りを見回しても、初めて会う人ばかりだった。

        卒業までの長い年月のなかで、今でも鮮明に記憶している出来事がふたつある。

        そのひとつが、卒業論文を書き終えた時のことである。
        原稿用紙百枚目の最後の升目に、文字を清書し終えた瞬間の言い尽くせない感動は、今でも忘れられない。

        もうひとつの記憶は、復学して間もない頃の試験日のことである。
        早朝に弁当を作り、幼い二人の娘が退屈しないように、折り紙や鋏、糊、絵本、菓子など、
        考えつくものすべてを用意し、大学まで二人を伴って、科目試験を受けに行った。

        試験会場の教室に入る前に、廊下の机に弁当などを並べ、そこに二人を坐らせて、
        教室で娘から一番近い席を選び、考古学の答案用紙に向かった。

        数十分経った頃、菓子を食べながら折り紙をしている娘たちに、男性の試験官が、
        「お母さんは紙にいっぱい書いているから、合格だよ」
        と、話している優しい声が聞こえた。
        思わず涙が出そうになったのを憶えている。
        当時、子どもを連れて受験するのは、私だけだったように思う。

        それから二十五年以上経った。現在五十八才の私は、やはり学習を続けている。
         最近、ワードやエクセルなどパソコンを修得し、四十年間描き続けている日本画作品の、
        ブログとホームページも作ってみた。
        買物に通う往復一時間の道を、イヤホンを耳に英語をつぶやきながら歩いている。
        エッセイの学習も始めた。
        いつの日か英語でエッセイを、と夢をふくらませている。

        学ぶことは本当に楽しい。
        私の何よりのアンチエイジングとなっているようである。
         
          
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        プロフィール

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        -池内佑衣(ゆい)- Yui Ikeuchi
        はるか昔の中学生時代、 教科書に載っていた仏画の鉄線描。
        その線の美しさに感動したことを、 40年以上経った今でも 鮮明に憶えています。 私の原点です。

        日本画に深い精神性を感じて、 若い頃から描いてきました。
        その後、私の歩みのなかで、 乗り越えることが 幾度も訪れるたびに、 絵は変わらず 支えてくれました。

        暗闇の中で絵筆を持つ日、
        一条の光を感じて描く日、

        昨日より明日とはいかなくても、
        気づきと新たな深まりが 少しでもあれば、
        絵と静かに語らえるならば、
        私は幸せです。
        絵は私の友です。
        ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
             HPURL http://picture-essay.jimdo.com/
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