アンディちゃんとウノちゃん
『アンディちゃんとウノちゃん』 2015年9月制作
Mさんご夫婦の大切な家族、アンディちゃんとウノちゃん。
性格はまったく違いますが、とても仲良しです。
肖像画の注文を承っております
HP http://yui-ikeuchi.com/
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- 2015.09.22 Tuesday
- 日本画作品
- 16:10
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- by 池内佑衣
10年前母は、ラジオ放送「語り継ぐ戦争-私の戦争体験記」に文章を寄せて、そのオンエアーの初日に、パーソナリテイーに読み上げられました。
今年87歳になった母の心の叫びがあります。ここに再び掲載させていただきます。
「語り継ぐ戦争」
太平洋戦争末期、日本の敗色濃く、サイパンを基地にして、日夜本土は空襲を受けました。私たちは寝る時も枕元に貴重品、救急薬を入れた小さな袋、防空頭巾を置き、モンペをはいて休みました。空襲警報が下りると外にある防空壕に入りますが、爆撃の目標になるので灯をつけることは許されません。真っ暗な家の中を手探りで台所に出て流し台にぶつかったり、バケツに当たったりしながら、裏口から飛び出したものです。
昭和20年3月、大空襲を受けました。南一帯焼け落ちるぐれんの炎が、南向きの我が家に不気味に映っていたのを忘れることができません。
6月に入って、すぐ近くの鉄道西側が焼け野原になりました。私共は、父が2年前に亡くなり、弟は小学生なので田舎へ疎開し、母と私とで家業に精出しておりました。6月7日午前、商談に見えた方がまだおられるのに、警報が出ました。B29、70機の来襲です。近くにいた人たちもあわてて防空壕に飛び込んで来ました。爆風で目や鼓膜をいためないように、教えられた通り、指でしっかり押さえてからだを伏せました。
焼夷弾の落ちるザザザーッという音、爆弾の落ちるゴゴゴーッという音。激しい地鳴りがして防空壕が上下左右に揺れます。
地鳴りが止み、あたりが静かになったので、防空壕からそっと首を出しました。あたりは一面の煙です。勝手口から、そっと家の中をのぞきました。煙の中から向かいのおばさんが顔だけ出して「奥さん」と呼ばれ、母と私は飛び出しました。この向かいのおばさんとおじさん、母と私の4人はしっかり手をつないで、「放すなよ!」と言うおじさんの声に力づけられ、煙で見えない道を走りました。
運河にかかった橋を渡りかけたとき、橋の下の土手の斜面にたくさんの人が倒れていました。あの激しい爆風で亡くなられたのでしょう。
土手の上から見る家々は、まるでマッチ箱でも燃すように、簡単にパチパチと音を立てて赤い炎に包まれています。空はどんより低く、後に雨になりましたが、地獄絵とはこのことを言うのでしょう。
この2ヵ月後に終戦。母は、すべての財産焼失と、貨幣の暴落で、苦労の末、弟の高校卒業も待たずに亡くなりました。空襲さえなければ、母の死も、もう少し幸せだったはずです。
何も知らない、知らされていない庶民が巻き込まれる戦争は、今後絶対、二度としてはなりません。
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